親子の共依存とは | なぜか苦しい関係から抜け出そう【実体験あり】

子どもに依存する母親(親子の共依存)

親の束縛・圧力が強すぎて自由に生きられない。
または、親との仲は良いはずなのに、なぜか息苦しい。
もしかして、うちは「親子の共依存」?
特徴・リスクや共依存から抜け出し、自立する方法を知りたい。

このような悩み・疑問に、私の実体験にもとづきお答えします。
(あくまでもご参考までにご覧ください)

kaho

この記事を書いている私

40代の元アダルトチルドレンです。
(母は自己愛性パーソナリティ障害の末、うつ病・統合失調症に)

22歳、「アダルトチルドレン(AC)」と気づき、生きづらさの正体を知る。
30歳、 ACからの回復に自信をもつ。
35歳、「私は親のようにならない」という誓いから解放される。

現在は、夫・2人の子どもと田舎暮らし。
職業は保育士(AC概念と出会いを機に、事務職から転職)。
くわしいプロフィールはこちら

「親子の共依存」とは | 自分の人生ではなく親の人生を生きること

親子の共依存

「共依存(co-dependency)」とは、自分自身に焦点があたっておらず、他人に必要とされることを必要としている状態のことです。
特定の人間関係に過剰に依存しています。

人間関係のある場所ならどこででも起こり得る共依存。
なかでも一番身近にあるのが「親子の共依存」です。

アダルトチルドレンや共依存について、多くの著書をもつ臨床心理士の信田さよ子さん。
彼女は、共依存について次のように述べています。

それは分かりやすく言えば、「愛情という名を借りて相手を支配する」ことで、「不幸でいながら離れられない関係」と言えます。

出典:信田さよ子『愛情という名の支配〈家族を縛る共依存〉』(海竜社 1998/9/7:P. 16)

母と私は、私が20歳すぎまで、かなり強い共依存の関係にありました。
そのことに気づいたのは、『愛情という名の支配〈家族を縛る共依存〉』(海竜社、1998)という本との出会いでした。

「自分と母のことが書いてある!」と本当に驚きました。

共依存」という視点は、家庭環境を客観的にみることを許してくれました
自分でも気づかないうちに、母の幸せを優先するようになった私。
そんな私が、自分の人生を生き直すスタートラインに立った瞬間でした。

親のことを大切に思っているのに、なぜか重苦しい。
そう感じるのであれば、それは「愛情」ではなく「支配」の可能性があります。


具体的なエピソードで「共依存の特徴」を理解する

共依存の特徴

アメリカ・カリフォルニア州で、精神療法家としてご活躍されている西尾和美さん。
彼女の著書『アダルト・チルドレンと癒し〈本当の自分を取りもどす〉』では、共依存の主な特徴が22項目紹介されています。

その中から、母と私にとくに当てはまる項目をピックアップしました。
具体的なエピソードを用いて説明します。

小学5年生くらいから、家庭環境が一気に悪化しました。
過干渉で、すべてをコントロールしたがる母に、父も姉も耐え切れなくなったからです。

怒鳴り声が飛び交うような激しいケンカは、日常的になりました。
つかまれた部分に手の跡が赤く残るような取っ組み合いのケンカ。
口では母に勝てない父は、ごくたまに母に手を上げることがありました。

「だれに食べさせてもらってるんだ!」
ふだんはおとなしい父が、鬼のような形相で母を力任せに足蹴りする。

父に足蹴りされながら、うずくまった母は、私に向かって震える声で泣き叫びます。
「kaho。見ておきなさい。お父さんのしていることを。よく見ておきなさい」

父が私の目の前で母を足蹴りしたのは、たった数回だと記憶しています。
しかし、自分の無力さを痛感するには、じゅうぶんな回数でした。

すさんだ生活と比例して、母の極端な性格はますます悪化。
中学生のとき、母は浮気を始めました。
高校生のとき、母がうつ病になりました。

「お父さんと別れたいけど、子どもの将来のために今は別れない」
そう言って耐える姿を目の当たりにし、私は母に強い恩を感じるようになりました。

頼りない父と別れられない、かわいそうな母。
姉にどれだけ反抗されても、決して屈せず、家事や子どもの教育に熱心な立派な母。
私の目には、そう映ってしまった。

私に残された選択肢は限られていました。
それは、母にとっての「いい子」になること。

母の気持ちに寄り添い、母の喜ぶことを最優先しました。
「不幸な母を私が幸せにしなければ」と必死でした。
「kahoは心のやさしい子」母はとても喜びました。

必死にがんばるうち、いつの間にか、私は自分の人生ではなく、母の人生を生きていました。
母と私の「バウンダリー(境界線)」は、いつのまにか曖昧になっていました。

母は、「物事はこうあるべき」という理想像が強くありました。

自分の理想の枠からはみ出ることは決して許さず、けれど、家族が理想の枠のなかにさえいれば、とても機嫌がよかったように思います。

わが家は、子どもとして当たり前のわがままや甘えが許されず、幼いころは、母の意に添わないことをすると、たびたび閉じ込められました。
押入れ、トイレ、ベランダ、風呂場。

小学3年生のとき、母の逆鱗にふれ、夜のベランダに出されました。
秋の夜は肌寒く、暗く、とても心細かった。

こんなとき、泣いたり怒ったりする姉とはちがい、私は虚勢をはる方でした。
「つらくなんかないし、こわくもない」
反省したそぶりを見せない私は、きっと母をイライラさせたのでしょう。

やっと窓が開いたと思ったら、鬼の形相のような母が、無言で布団を放り投げました。
なぜベランダに出されたのかは覚えていません。
けれど、「そこまでわるいことした!?」と、布団にくるまりながら釈然としない気持ちだったことを記憶しています。

また、母は、父と大きなケンカをした後は、自ら誓約書を書き、父に印を押させました。

① 反省し、今後は態度を改めること
② 態度を改めず、離婚に至る場合、マンションは母に譲り渡すこと・養育費を払うこと

そんなとき、父はおとなしく押印しました。
この儀式を、母は敢えて子どもの前でしたのかもしれません。
「子どもが見てるからね。今度こそ態度を改めなきゃいけないよ」そう父に言い聞かせました。

見守る私の気持ちは、次第に変化しました。
「今度こそ平和が訪れてほしい」という願いから、「どうせ父は変わらない。父の分まで自分がしっかりするしかない」というあきらめへと。

母と私は、100%父が悪いという前提に立っていました。

後に、自分がアダルトチルドレンだと知り、家族を客観的に見れるようになったとき、愕然としました。

自分が正しいと信じていた家族の在り方が、まったくちがっていたことに。
母を「善」と信じ、父と姉を「悪」として憎み続けてきました。

人を憎むという行為には、とてつもなく大きな負のエネルギーを必要とします。
その行為は、当然ながら相手を傷つけますが、同時に本人をも傷つけます。

憎む相手が、本来ならば愛情を育むはずの家族であるならば、傷の深さは計り知れない大きなもの。

傷だらけになりながら、自分が必死に守ろうとしてきたものは、いったいなんだったのか……。
信じられない、信じたくない気持ちでいっぱいでした。

一見、自己肯定感がとても高く見えた母ですが、本当は、真逆でした。
自分がアダルトチルドレンと知るまで、そのことに気がつきませんでした。

自分に自信がない分、家族を思い通りに支配し、完全に安心できる理想の家族をつくろうとしたのかもしれません。

そんな母にとって、共依存から抜け出そうとする私は、「脅威」であり、とんでもない「裏切り」でした。

完全に私に依存してきた母は、私なしでは生きられなくなっていました。

「こんなに尽くしてきたのに、必要なくなったら親を捨てるのか」と泣き崩れる。
「お母さんの話はだれが聞いてくれるの!?」と激怒する。

母は被害者のふりを続け、私の罪悪感をあおり、どこまでも支配しようとしました。

「大人として成長しようとしてるだけ。お母さんのことは大切に思ってるし、一緒に幸せになりたいと思ってる」

あのころは、心からそう思っていましたが、どれだけ言葉を尽くしても、「見捨てられ不安」が強い母には届きません。

その度に、激しく傷つき合い、わかり合えない虚しさが大きくなっていきました。
それでも、このころの私はまだ、母との時間を大切にしていました。

「そんなこと言った覚えはない」
「そんなことしてない」
母は、自分に都合の悪いことは認めないことが多くありました。

小学生まで、姉や私をたびたび閉じ込めたことも、「そんなことしたっけ」と否認しました。

合のわるいことは、無意識に記憶から消そうとするのか。
それとも、意識的になかったことにしてしまうのか。

それは分かりません。

ただ、自分の非を認めることが、とてもこわかっただと思います。
きっと、完璧な自分しか受け入れられなかったから。
だから、母は、家族に決して謝りませんでした。

ところが、そんな母が、父に初めて謝りました。
父が、とうとう家を出たからです。
母が60代、父は70代になっていました。

そして、その謝罪の直後、母は精神を病んでしまいました。
診断は、統合失調症。

自分の非を本当に認めたのか、父をつなぎとめるために謝ったのか、それはわかりません。
ただ、自分が置かれた現実を受け止めきれなかった母は、自分のなかに逃げ込み、事実を否定しようとしたのだと思います。

注:この特徴が、つぎの私の症状に当てはまるか否かはわかりません。
ただ、共依存に苦しむ人の多くが、同じような症状をもっているかもと思い、書き記します。


大学生のある時期、息苦しさを覚えることがありました。
心臓の鼓動が速くなり、息を吸っても酸素がじゅうぶんに取りこめない感じです。
それは、通学のために電車を待つ時間に限って起こりました。

今から思えば、家庭内のトラブルが10年近くつづき、体が危険信号を出していたのでしょう。

内科で心臓の検査をしました。
「なにか悩み事がありますか」と聞かれ、「特にないです」と答えました。

当時、家庭環境は比較的安定していました。
地元では有名な大学に合格したのを機に、母のうつ病が劇的によくなったからです。
先の見えない不安から解放され、私たちはつかの間の平和を味わっていました。

だから、本当に悩みがないと思っていたのです。
むしろ、母のうつ病が治り、学費の高い私立大学に通わせてもらい、自分は恵まれている、感謝しなければと感じていました。

せっかく体が出してくれたメッセージに気づけませんでした
幸い、症状はそれほど重くなく、長くは続きませんでした。

アダルトチルドレンは、自分の置かれたつらい状況に気づきにくいのです。
そもそも、なにが「ふつうか」なのかわからない状況で、理不尽な仕打ちに耐えることを身につけているのですから。

母は、完璧主義でした。
家事を完璧にこなし、子どもの教育にとても熱心でした。

きれいに片付いた部屋。
手編みのセーター。
栄養バランスのとれた食事・手づくりのおやつ。
朝食にはアジの干物を焼き、お弁当のおかずには、揚げたての唐揚げを入れてくれました。

それ自体は悪いことではなく、ありがたい話です。
しかし、自分が疲れているときも手を抜けず、過剰にこだわりすぎてしまうのです

インスタントラーメン類は、当然、我が家とは無縁。
生協のラーメンが昼食になるときでさえ、麺の上は、トッピングの野菜が必要以上に山盛りでした。

たまに登場するピザは、トッピングのサラミを捨てられました。
外食の付け合わせのわらびでさえ、発がん性があるからと食べさせてもらえませんでした。

本当はそんなことよりも、食卓に楽しい雰囲気があることのほうが大切なのに……。
彩り豊かな食事を目の前に、母が父を睨みつける。
栄養たっぷりの食事を泣きながら食べるとき、自分がエサを与えられた家畜になった気がしました。

「ものごとを極端にとらえ、ほどほどにするということができない」という特徴は、生活のいたるところで、私たちを苦しめました。
生活のすべてが、母にとって心配の種であり、いつも緊急事態でした。

つねに不機嫌で子どもを叱り飛ばすような母ではありませんでしたが、「母の言うことは絶対」でNOと言えない雰囲気でした。

参考:西尾和美『アダルト・チルドレンと癒し〈本当の自分を取りもどす〉』(学陽書房 1997/5/15 : P.76-83)

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母との「親子共依存」を抜け出すのが難しかった2つの理由

母を支える子ども(親子の共依存)

当事者(とくに親)は共依存関係に気づくのが難しい

母の立場

母は、自分のことを「愛情豊かな母」と信じていました。「私は情が深い」というのは、母の口癖。
「愛情」と「支配」を、完全にはき違えていました。

人と適切な境界線をもたない母は、父や子どもを自分の所有物のように思っていたのでしょう。

「人にはそれぞれの価値観があり、互いの考えを尊重し合う」という発想がない母が、共依存関係に気づくのは、至難の業なのです。

私の立場

そして、そんな母を、私は信じていました。

そもそも、母の支配が比較的うまくいっていたころ、幸せだと感じていました。
家族が理想の枠のなかにさえいれば、母はご機嫌だったからです。

その母が、父や姉と激しいケンカをし、泣いたり怒ったりする姿を見つづけるうち、私の境界も大きく壊れていきました。

愛情豊かな正しい家族も実は支配に満ちているのです。(中略)耐えて弱々しく、犠牲者のふりをした人が、実はもっとも巧妙なコントロールを行っているということに気づかなければいけません

出典:信田さよ子『子どもの生きづらさと親子関係〈アダルト・チルドレンの視点から〉』 (大月書店 2001/6/8:P.82

子どもに依存している親自身が、子どもへの支配をはっきりと自覚していない。
そのような家庭で育った子どもが、自分の親を手本に生きてきた子どもが、どうすれば気づくことができるのでしょう。

「自分は支配されている」「『親子の共依存』というお互いを不幸にする関係」だと。

しかし、そんな私に転機が訪れました。

3年ほど交際していた彼との別れです。
失恋をきっかけに、自分の内面の問題について、逃げずに向き合うようになりました。

そして、失恋から数年後、信田さよ子さんの『愛情という名の支配〈家族を縛る共依存〉』に出会いました。

自分にとって、大事件とも思えるマイナスなことが起きたとき。
それは、これまでのやり方ではうまくいかないと証明されたときです。

「ピンチはチャンス」
ありふれた言葉ですが、40代になった今、あの頃を振りかえり、本当にそのとおりだと実感します。

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家族関係を捉え直すことへの強い葛藤がある

「母は、愛情という名を借りてわたしを支配した」
そう認めきるまでに、長い時間とエネルギーを必要としました。

信田さんの『愛情という名の支配〈家族を縛る共依存〉』に出会い、「自分と母のことが書いてある」と驚いたのは事実です。

本を読む限り、自分が「アダルトチルドレン」だと確信はありました。
しかし、「本のなかに登場する、子どもの人生に寄生する母親」と自分の母が、全くのイコール関係だとは、どうしても思えませんでした。

特徴はそっくりそのままわたしの母と同じなのに……。
あたまでは理解できても、気持ちがついていかないのです。

「母はわたしを支配してきた!? いや、そうじゃない、母は悪くない。母はちゃんとわたしを愛してくれていた」

母を疑う自分に、激しい罪悪感を感じました。

相反する気持ちに混乱する時期は、しばらく続きました。
アダルトチルドレンのなかには、親との関係はうまくいっていると思っている人たちが多くいます。

わたしにとって、母との共依存を認めることは、表面上はうまくいっている母との関係を壊すことになります。
それは、これまでの自分の人生を否定することと同じです。

母の気持ちをつねに優先し、父や姉を強く憎んできました。
人を憎むという行為には、とてつもなく大きな負のエネルギーを必要とします。

その行為は、当然ながら相手を傷つけますが、同時に本人をも傷つけます。
憎む相手が、本来ならば愛情を育むはずの家族であるならば、その傷の深さは想像を超えるものになります。

もし、母が「子どもの人生に寄生する」親なら、いままでのわたしの苦しみは、いったいなんだったの!?と信じがたい気持ちでした。

10年余り、憎しみと悲しみのなかで過ごしてきた私には、すんなりと現実を受け入れることは到底できなかったのです。

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「共依存」と健康的な「ふつうの相互依存」のちがいとは?

親子共依存

ここで問題です。
そもそも、人間社会とは、人と人とが協力しあい、ある程度の相互依存にもとづいて生活する場です。

「共依存」と健康的な「ふつうの相互依存」のちがいとは、どこにあるのでしょうか。

母は、「私に負担になるようなやり方で、一方的に、長期間、依存」しました。

相手に負担になるようなやり方

  • 家族の悪口を子どもに聞かせ続ける
  • 子どもの目の前で、激しいケンカを繰りかえす
  • 泣いたり怒ったりする姿を、子どもに見せ続ける

一方的

母の私への依存は、どんどんエスカレートし、最終的には、不倫相手とのデートの話や悩みまで打ちあけるようになりました。

その一方で、私は、母に悩みを打ちあけることはほとんどありませんでした。
自分の弱さを見せるのが恥ずかしかったのか。
母に負担をかけたくなかったのか。
その両方なのか。

いずれにせよ、相互に助けあう関係ではありませんでした(当時は「恩がある」と思っていた)。

長期間

父と母の仲が悪化したのは、小学校5年生とき。
思春期以降、私が結婚し、母親になってからも、母は私に依存し続けようとしました。

では、「共依存」に対して、健康的な「ふつうの相互依存」とは、どのような関係でしょう。

それは、「相手を支配することなく、お互いの存在を頼りにできる関係」だと思います。

幸いにして、私たち夫婦と子どもの関係は、「ふつうの相互依存」だと感じます。

子どもたちが、親の顔色をうかがうことなく、子どもらしい未熟さをさらけ出し、のびのびとしているからです。
そして、困ったときは、遠慮なく頼ってくれるからです。

子どもたちはきっと知っているのです。

親の期待に応えなくていいことを。
自分の気持ちを大切にしてもらえることを。
ありのままの自分たちの存在を受け入れてもらえることを。

もちろん、親といえども、迷ったり悩んだりしながら日々生活しています。
生活に追われ、ときに気持ちに余裕がなくなることも……。
そんなとき、普段は目をつぶるようなことで、不機嫌になってしまうことがあります。

でも、私たちは完璧ではない。
そんな不完全な姿も、「負担になるようなやり方で、一方的に、長期間」でなければ問題ないのだと思います。

お互いに、良いところも悪いところも認めたうえで、お互いを尊重できる。
そんな関係が心地いいのです。

kaho

「お互いさまだから」
長女と私の、最近のお気に入りのセリフです

例えば、「子どものために離婚せずに我慢しました。子どもが私の生きがいです」と言う親は、確かに子どもの存在に依存しています。しかし、そんなことをいえば、子を思う親はみな「毒親」になってしまう。(中略)いつも片方が、もう一方を自分に依存させて、相手が元来持っている人としての能力を無視するような関係の作り方ーこれが共依存関係です。

出典:斎藤学「「毒親」の子どもたちへ」(メタモル出版 2015/2/23:P.64 )
   斎藤学「「毒親」って言うな!」(扶桑社 2022/2/10:P.89)

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共依存の治療とは|親子の共依存から抜け出す方法・回復過程

アダルトチルドレン回復(克服)のカギ

「共依存」の治療は「アダルトチルドレン」の治療とイコール関係

アダルトチルドレンから回復する過程で、母との共依存から少しずつ抜け出すことができました。
母との関係を、客観的に捉え直すことができるようになったからです。

アダルトチルドレンと共依存は、切り離せない関係です。
なぜなら、両者は「健全に機能しない家族(=機能不全家族)」を根源とした問題だからです。

両者は、問題に対する焦点の当て方がちがいます
アダルトチルドレンは「個人」に焦点を、共依存は「相手との関係性」に焦点をあてています。

私は、母との共依存を認めるのが本当にむずかしく、共依存という概念からは、いったん離れてしまいました。

ですから、私の回復は、共依存から抜け出そうというより、機能不全家族のなかで学んでしまった「まちがった価値観を修正しよう」とし続けることで成功しました。

自分の回復過程から考えても、「共依存を治すこと=アダルトチルドレンを治すこと」だと思います。

(前略)この両者は、「アダルトチルドレン」と「共依存」と名称こそ異なるが、治療の側面からは同じアプローチが一般的になされている。

出典:緒方 明『アダルトチルドレンと共依存』(誠信書房 1996/10/5:P. 165)

具体的な回復過程を知りたい方は、つぎの記事をご覧ください。

希望を感じさせるハート
空へ飛び立つ美しい鳥

参考:緒方 明『アダルトチルドレンと共依存』(誠信書房 1996/10/5)

親子の共依存から抜け出す方法|できる限り、親との距離を置く

あくまで、個人的な体験としてご覧ください。

可能なら、「親と離れて暮らす」のがベストだと思います。

少し距離を置くことで、お互いが冷静になり、これからのことを前向きに考える機会をつくるといいと思います。

未成年の家出は、犯罪に巻き込まれる可能性が高いので危険
精神的に辛い場合、スクールカウンセラーなど、心の専門家に相談しましょう。

未成年でなくても、ネットで知り合ったような、素性のわからない人を頼りにしすぎるのは危険です。

命にかかわる問題・身体的虐待・性的虐待があれば、「児童相談所 虐待対応ダイヤル」【189いちはやく】などに電話するなど、一刻も早い対応を!
詳しくは『政府広報 DV/児童虐待はすぐに相談を。』のホームページへ。

私たち親子は、一緒にいることで、お互いに傷つけ合い、関係は悪化する一方でした。

精神的な支えを失いたくない母は、必死に私にしがみつこうとしました。
泣き、わめき、怒り、脅し、すがり、そして機嫌をとります。
それこそ、なりふり構わず……。

そして、私も必死でした。
このころ、私の気持ちはかなり揺れていました。
とくに、つぎの②と③は相容れない関係で、本当に苦しみました。

  1. 「自分はかわるんだ」という強い意志
  2. 家庭の争いの原因をつくり、被害者のふりをしていた「母への憎しみ」
  3. 「母に親孝行しなければ」という根強い罪悪感
  4. 父と姉への理解と彼らに向けてきた「憎しみへの後悔」

母との関係はどんどん悪化。
「かわいさ余って憎さ百倍」ということわざがあるように、母の私への攻撃はすさまじいものがありました。

激しい言い争いから自室に逃げる私を追いかけ、部屋の入口でわめきちらす。
つっかえ棒で扉を開けられないようにすると、その足で父の部屋に行き、やつあたりをする。

泣きながら寝つく日は、夢のなかでさえ怒鳴り合う。
翌日は、泣きすぎたのが原因で、頭痛と目の腫れに悩まされました。

その一方で、親孝行しなければ」という思いは根強く、ケンカをしない日は、できる限り優しい言葉をかけたり、ケンカの仲裁をしたりと、今までのように自分の役割をこなしていました。

「お母さんのことを大切に思ってる。成長しようとしてるだけ」
母の見捨てられ不安をなんとか取り除こうと、言葉を尽くしたけれど、母には決して届かなかった。

「自分の都合のいいときだけ利用して、必要なくなったら親を捨てるのか」
母は決まって同じセリフを投げつけました。

「こんなことを続けていると、2人ともダメになる」
アダルトチルドレンと気づいてから、2年以上が経過したころ、とうとう家を出る決意をしました。

父との争いが絶えない母を残し、家を出る。
その選択肢だけはなかった私でしたが、苦渋の選択でした。

母を見捨てたのではなく、母と私の双方を守るための決断でした。

しかし、試みは失敗。
会社の寮に入るつもりでしたが、感情的になり、話を切り出すタイミングを誤りました。

「親を捨てるのか……」と泣き崩れる母、うつ病の再発をちらつかせる母を前に、あきらめるしかなかった。

このときの話は、つぎの記事に詳しく載っています。

空へ飛び立つ美しい鳥

転機は、私の結婚でした。
結婚という手段で円満に家を出て、母との距離を置くことができました。

母に優しい私の夫を、母はとても気に入っていました。
結婚直前、予想どおり母は不安定に。
けれど、新居が車で往来できる距離だったこともあり、なんとかもち直しました。

🔳 「結婚」という手段で、家を出ることについて

家を出るために、結婚を急ぐのはおすすめしません。
新しいパートナーと、共依存になる可能性があるからです。

もちろん、パートナーとの関係が、精神的に自立した「対等な関係」なら問題はありません。

冒頭で述べたとおり、親子の共依存から抜け出すには、「親と離れて暮らす」のがベストだと思います。

けれど、さまざまな事情で、離れて暮らすのがむずかしいこともあるでしょう。
そんなとき、できることが2つあります。

  1. できる限り、1人の時間をもつ
  2. 信頼できる人(できれば心の専門家)に相談する

1人でホッとできる時間をもつことで、気持ちにゆとりが出てきます。

居心地のよいカフェで、おいしいコーヒーを飲んだり、静かに本を読んだり、きれいな景色を眺めたり。

忙しい方は、帰宅する前、車のなかやコンビニのイートインなどで、一息つくだけでもいいです。
自分だけのために、ほんの少しでも時間をつくり、温かい飲み物などで自分をねぎらってあげて下さい。

ただ、ひたすら歩くこともおすすめです。
歩く前は、面倒くさいなと思うかもしれませんが、歩きはじめると、体を動かすことが楽しくなっています。
歩き終わるころには、不思議と気持ちがすっきりします。

物理的に離れられないなら、「できる限り、1人の時間をもつ」ことで、少しずつ精神的に離れていきましょう。

また、「信頼できる人に相談する」ことも大切だと思います。
共依存は、1人で抱えるには大きすぎる問題です。
心の専門家(臨床心理士など)をおすすめします。

この手の話は、友人に話すには重すぎ、異性に相談すると、新たな共依存関係を生む危険があるからです。

もちろん、ネットで知り合ったような、素性のわからない人を頼りにしすぎるのは危険です。

臨床心理士とは

🔳 結婚し、「母と離れて暮らす」ようになってからの気持ちの変化

離れて暮らすことで、気持ちに大きな変化がありました。
また、結婚・保育士への転職・出産といった人生の転換期だったことも、母との関係を捉え直すいい機会になりました。

ざっとですが、つぎのような感じです。

  • 争いのない生活が、いかに精神的な安定をもたらすか実感した
  • 「親孝行しなければ」という思いは、根づよく残った
  • できる限りのことをしても満足しない母に、限界を感じ始め、気持ちが冷めていった
  • 私の子ども前で声を荒げた母に、限界を認め、距離をとるようになった、愛情がなくなった
  • 距離をとるようになったころから3年間、父を虐待していたことを知り、母に見切りをつける覚悟を決めた

結局、父が家を出たのが決定打になり、母は精神を病み、統合失調症と診断されました。

精神的にも体力的にも限界をだった父を守るため、家を出ることを後押ししたのは、私でした。
臨床心理士と話し合いながら、ベストを尽くして進めた結果でした。
だから、後悔していません。

結局、どう転んでも、この結果になったのだろう。今はそう思っています。
なぜなら、母は決して家族を信用しなかったから。
信用できないから、安心できないから、攻撃し続ける母は、孤立し、病んでいくしか道がなかったのです。

かわいそうですが、母が自分で選んだ道なのです。

自己愛性パーソナリティ障害に悩む女性

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最後に|親子の共依存を絶ち切ることができた今

共依存からの解放

私はいま、自分のために生きることを優先しています。

「自分のために生きる」とは、どういうことでしょう。

それは、自分の気持ちに正直に生きることだと思います。
自分が何を感じたのか、本当はどうしたいのか。
自分の気持ちにフタをせず、まっすぐに見つめてあげてください。

必要以上に相手の期待に応えてきた反動が出るかもしれません。
「人のことなどどうでもいい」と過度に自分勝手に振るまってしまうかもしれません。

ちょうどいいバランスで生きるのは、本当にむずかしいですね。
試行錯誤をくりかえしながら、本当に少しずつですが、上手になっていきます。

教えてもらえなかったことは、ゆっくりと時間をかけて学んでいけばいいのです。

私はいま、家庭が崩壊しはじめた頃の母と同じ年代になりました。
母には母の人生があり、きっと苦しかったのだと思います。

家が貧しく、高校に行きたいとさえ言えなかった母。
私の祖父は、なぜか土地に執着し、借金をして多くの土地を手に入れたと聞きました。
借金取りが家に来て、身を隠すこともあったようです。

外に働きに出る祖母に代わり、家のことは祖父が担っていました。
母は、兄弟のだれよりも祖父を慕っていたそうです。
実際、母から聞く思い出は、祖父のことばかりでした。

もしかしたら、母と祖父は、共依存の関係だったのではないか?
そんなふうに思い始めました。

そして、その祖父は、つらく長い戦争の時代を生きた人です。
狂った時代に翻弄された人生だったかもしれません。

そうやって、ルーツをたどっていくと、いったい責任の所在はどこにあるのでしょう。
「犯人捜し」をしても、アダルトチルドレンから回復することも、共依存から抜け出すことも、きっとできない。

私たちにできること。
それは、「なぜ、今、これほど自分は苦しいのか、理由をしっかり理解すること。そのうえで、自分の苦しみをしっかりと納得し、十分に自分をねぎらうこと。親には親の事情があったかもと思うことで、少しでも憎しみ・親の支配から解放されること」

ほんの一歩でもいい。
その一歩を進むため、自分はアダルトチルドレンだと、共依存だと認めることが必要なのではないか。そう思います。

そのうえで、母が私たちにしてきた言動を、私は肯定できません。
子どもをもつ母親になり、なおさらそう感じます。

母は、もっとも安易な方法で、自分が楽になろうとしました。

自分の不満を、子どもで解消しようとした。
「あなたのために」という言い訳をつかい、不幸な姿を見せつけ、子どもの心を巧妙に支配し、自分の都合のいいように育てあげた。

高校3年生のとき、母が不倫をしていると知ったときでさえ、母に幸せな時間があったことに、心のどこかでほっとする自分がいました。

信田さよ子さんの『愛情という名の支配』。
自分が生まれ育った家庭をかえりみるとき、これ以上ぴったりの表現は見つからないのです。

わたしの人生の転機となった信田さよ子さんの『愛情という名の支配〈家族を縛る共依存〉』。
出版年数が古いため、いまは入手しづらいです。
かわりに、この本をおすすめします。

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