自己愛性パーソナリティ障害とは | 母のうつ病・統合失調症の要因

自己愛性パーソナリティ障害に悩む女性

「自己愛性パーソナリティ障害(narcissistic personality disorder ; NPD)」とは、健康な人間関係を築くのがむずかしい」という障害です。
ここでは、自己愛性パーソナリティ障害について、具体的なエピソードを用い、わかりやすく解説します。

私の実体験にもとづいた解説です
(あくまでもご参考までにご覧ください)

kaho

管理人のkahoです。
母は「自己愛性パーソナリティ障害」の特徴をすべてもっています。

母は、家族のだれとも健康な人間関係を築けませんでした。
最初に険悪な関係になったのは父でした。わたしが小学5年生のときです。
次に、姉。最後は、わたしです。

もっとはやく自己愛性パーソナリティ障害について知っていれば、家族がバラバラにならずにすんだのではないか……。

この障害を知ったのは、母が統合失調症になる直前でした。
母は70歳を目前にし、家族はずいぶん前に崩壊していました。

知識は、力になります

正しく知り、適切な対応をし、状況を改善する。

この記事が、自己愛性パーソナリティ障害をもつ本人も、支える家族も、より良い方向に進むためのヒントになれば幸いです。

(自己愛性パーソナリティ障害の方を非難する記事ではありません)

自己愛性パーソナリティ障害とは|健康な人間関係を築くのがむずかしい障害

自己愛性パーソナリティ障害を抱え、人間関係に苦しむ人

自己愛性パーソナリティ障害は、10種類ある「パーソナリティ障害」のうちの1つで、「健康な人間関係を築くのがむずかしいという障害」です。

パーソナリティ障害については、『MSDマニュアル』のホームページが参考になります。

母との仲が険悪になるにつれ、わたしたち家族には、共通のやりきれない思いがありました。

「思いやりをまったく感じない」
「どうしてこんなに人の気持ちがわからないんだろう?」

その答えを見つけるのに、ずいぶんと長い時間が必要でした。
自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社、2007)のなかに、探していた答えをようやく見つけました。

いつでも自分のことばかり、他者を本当には愛せないというパーソナリティをもつ人がいます。そういう人は、他者もまた自分と同じようにさまざまな感情や考え方をもつ「人間」であると認められず、健康な人間関係を築くことができません。強すぎる自己愛ゆえに対人関係に問題をかかえるようになってしまう「自己愛性パーソナリティ障害」です。

出典:狩野力八郎『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社 2007/12/10:P.10 )

父も、姉も、わたしも、母との関係にずっと苦しんできました。

母が70歳を目前に統合失調症になったとき、すでに家族は崩壊していました。
父は80歳と高齢になり、姉は家族と絶縁し、動けるのは私だけでした。

けれど、わたしも既に家庭をもつ身。
家事、育児と仕事に加え、母の対応に疲れきっていました。

インターネットで自己愛性パーソナリティ障害のことを知ったのは、ちょうどこの頃です。
早速、『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』を取りよせました。

これまでの家族の問題を、「母=自己愛性パーソナリティ障害」という新たな視点で見たとき、すべての苦しみの謎が解けた気がしました

「あぁ、そういうことだったのか……」
そんな言葉が漏れるほど、腑に落ちた気がしました。

ずいぶん長い年月、母とわかり合うための努力をしてきました。
でも、どれだけ言葉を尽くしても、気持ちが伝わらなかった。
その度にお互いを激しく傷つけ合いました。

30歳をすぎ、自分の新しい家族を守るため、わかりあうことをあきらめました。
40歳をすぎ、自己愛性パーソナリティ障害の可能性を知り、わかりあえなかった理由を理解しました。

他者もまた自分と同じようにさまざまな感情や考え方をもつ『人間』であると認められない」

この表現が、母のすべてを物語っています。
もし、もっと早い段階でこの事実に気づいていたら、あれほど傷つけ合わずにすんだのでは……。

それは、わかりません。
自己愛性パーソナリティ障害の人に対し、批判や説教は禁物だと言われています。

そのことを知識として知っていたとしても、わたしの人生にどこまでも侵入しようとする母に、感情的になったことでしょう。

けれど、……。
「自己愛性パーソナリティ障害をもつ親に育てられると、子どもはとてつもない苦しみを味わうと知っていれば、自分の苦しみ・悲しみにもっと寄り添うことができたと思うのです

(前略)
これまでの描写にあなたの母親が当てはまるなら、つらいとはいえ、真実をはっきりと見ることができてあなたはほっとしただろう。しかし、あなたが相手をしているものの正体を見極めるために、文字では現実感がないかもしれない。文字ではあなたの精神的な動揺や母親に与えられた傷を癒すことができない。「共感の欠如」という言葉だけでは、きわめて自己中心的な母親から理解してもらおうとしたときにあなたが感じたむなしさを言い尽くせないのだ。

出典:スーザン・フォワード『毒親の棄て方〈娘のための自信回復マニュアル〉』(新潮社 2015/10/30 : P.35 )

自己愛性パーソナリティ障害の特徴 | 具体的なエピソードで解説

自己愛性パーソナリティ障害に苦しむ女性

自己愛性パーソナリティ障害の診断は、通常は米国精神医学会が発行している「精神疾患の診断・統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders ; DSM)」にもとづいて下されます。

診断基準となる9つの特徴があり、5項目以上に該当する必要があります。
(くわしくは、『MSDマニュアル』のホームページが参考になります)

具体的なエピソードで、いくつかの特徴を説明します

「自分の考えは絶対に正しい」
母はなぜかそう信じていました。

ですから、家族の仲が悪くなる前から、母の意見は絶対的。
物事の大小を問わず、家族で相談して決めるという習慣はなく、子どもころ、「母は常に正しい」と尊敬していました。

機嫌がいいときの母は、「だまされたと思って○○してごらん」と笑顔で言いました。
機嫌がわるいときの母は、家族が思いどおりにならないと、あからさまに不機嫌になりました。
喜怒哀楽の激しさに戸惑うことがありました。

母は、自分の非を認めず、絶対に謝りませんでした。
「自分の考えは絶対に正しい」との強い思いがあったからかもしれません。

父と大きなケンカをした後は、自ら誓約書を書き、父に印を押させました。
100%父が悪いという前提に立った誓約書でした。

① 反省し、今後は態度を改めること
② 態度を改めず、離婚に至る場合、マンションは母に譲り渡すこと・養育費を払うこと

そんなとき、父はおとなしく押印しました。
「子どもが見てるからね。最後のチャンスだよ」そう父に言い聞かせました。

自分の言動を認めないことも、よくありました。
「そんなことしてない」
「そんなこと言った覚えはない」

都合の悪いことは、記憶からすっぽりと抜け落ちてしまうのか。
それとも、意識的になかったことにしてしまうのか。

いずれにしても、わたしたちは、虚しさ・やりきれなさが募る一方でした

母には「物事はこうあるべき」という揺るぎない理想像があるようでした。
そして、母には、理想をかなえるための行動力もありました。

長らく専業主婦だった母は、家事の一切に手を抜かず、インテリアにも気をつかいました。
手先が器用で、紙粘土・洋裁・編み物などが趣味でした。
とくに洋裁は、自分のよそ行きの服を型紙からつくるほどの腕前でした。

また、もともと美人で恵まれた体型の持ち主でしたが、外出しなくても化粧をするなど、身なりに気をつかいました。

学校の授業参観では、「お母さん、きれいだねぇ」と友達の注目の的。
わたし自身も、母の美しさを自慢に思っていました。

しかし、母は、家族に対する理想もとても高かったように思います。

そのせいか、姉とわたしの成績は、1学年200人規模の中学で、つねにトップを争うレベル。
わたしに関して言えば、地頭がいいのではなく、単にストイックに勉強した結果。
勉強に追いつめられ、苦しいときがありました。

わたしが中学生のとき、母は浮気をはじめました。
父との関係が冷え切っていた母は、素晴らしい恋という夢を見たかったのかもしれません。

そして、浮気が家族にばれたのを機に、わたしに不倫の相談をするようになりました。

そのころ、熟年の不倫をテーマにした『マディソン郡の橋』という映画がはやっており、母はこの映画が好きでした。
主人公のフランチェスカは、「不倫相手の遺灰が撒かれた橋の上から、同じように自分の遺灰を撒いてほしい」と家族に遺書を残しています。

当時、大学生だったわたしは、母から同じことを託されました。

母が60歳を過ぎたころ、わたしは母とわかり合うことをあきらめました。
母の機嫌を損ねない程度の関係を保ちながら、我慢の限界になるとケンカをするという具合でした。

姉は、父や母と音信不通になって5年以上が経っていました。
定年後に10年以上もフルタイムで働き続けた父は、退職して家にいるようなり、母との関係はますます悪化。
完全に家庭内別居状態となりました。

家族のだれともわかり合えず、理想どおりの生活とはかけ離れてしまった母。
ちょうどこの頃、大手企業の元役員の奥さんとお付き合いを始めました。
プライドが高く特権意識が強かった母は、見栄をはってでも、地位が高いと思われる人と付き合いたかったのかもしれません。

その影響で、1本2000円もする高額の歯磨き粉を使いはじめたり、彼女のハンドメイド作品を、ひんぱんに購入しました。

5,000円~1万円ほどの作品が10点以上。
もう少し手頃な値段の作品は、大量に購入しました。

当然、すべての作品を部屋に飾りきれず、未開封の作品が部屋のすみで山積み状態に。

このように、自分のためには自由にお金を使っていた母。
一方で、高卒で73歳までフルタイムで働きづめだった父は、定年後、お金に困る生活をおくっていました。

母が父を精神的に虐待しはじめたからです。

家庭内別居になり、認知症の疑いがあるとして通帳を取りあげられ、毎月のおこづかいさえもらえなくなりました。
定年後に日課になっていた喫茶店やカラオケに行くことも、ままならなくなりました。

自炊をしようにも台所に行くと口汚くののしられ、おにぎりさえ満足に買うお金がなく、すっかり痩せてしまいました。

「老後の資金が足りないから、シャワーだけ」と、夏の入浴を禁じられる日もあったそうです。

自分はお金を散財しているのに、父には満足にお金を与えない。
「自分は特別かつ独特である」という考えがなければできないことだと思います。

実は、父は認知症ではありませんでした。
思い込みのつよい母は、強引に父を病院に連れていき、あることないこと医者に告げ、父の認知症をでっちあげてしまいました。

逆らっても仕方ないと最初からあきらめていた父は、痴呆の薬を3年間も飲みつづけました。

わたしが虐待に気づくまでの3年間、父は黙って耐えていました。
子どもの頃、わたしたちを母から守ってくれなかった父でした。

しかし、晩年は、自分が黙って耐えることで、娘の生活を守ってくれたのだと思います。

母は、自分が相手にしてあげたことに対し、見返りを求める人でした。

「kahoにはいろいろしてあげてきた。kahoがわたしの面倒を見るのは当たり前」
そんなことを、たびたび口にしていたと叔母から聞きました。

「子どもの世話は、親としてふつうのこと」と叔母が諭してもまったく耳を貸さず、「でも、わたしはあの子にたくさん手をかけてきた」同じことを繰りかえすだけだったそうです。

また、統合失調症になった母は、「あの子(叔母)はわたしに恩があるんだから、あんた1人でがんばらず、もっと頼ればいい」とわたしに度々言いました。

「もう十分お世話になってきたんだよ」と言うわたしに対し、母は必ず40年以上も前の話を持ちだしました。

叔母が出産したとき・引っ越しのとき、自分は幼い子どもを連れて、親代わりに手伝ったのだからと……。

母にとって大切なのは、いつも自分の気持ちだけでした

母は、物を見る目に絶対的な自信をもっていました。
そのため、わたしが購入予定のものを、なんの断りもなく買ってくることがありました。
それは、わたしが結婚した後も続きました。

結婚して5年ほど経ったころ。
母は、10個ほどの和食器を手みやげに遊びにきました。

わたしは、母が気分を害するのを承知で伝えました。
「食器にはこだわりがあるから自分で選びたい」

好みの問題以上に、母が選んだものを家のなかに置きたくなかったのです。

そんなわたしに、母は怒ってこう言い放ちました。

「自分のお金をどう使おうが、わたしの自由。
kahoはすなおに『ありがとう』と言って受けとればいいの」

自己愛性パーソナリティ障害には、2つのタイプがあるといいます。
「周囲を過剰に気にするタイプ」と「周囲を気にかけないタイプ」です。

母は、家族の前では「周囲を気にかけないタイプ」(傲慢かつ横柄)に、家の外では「周囲を過剰に気にするタイプ」にきりかえていたように感じます。

しかし、自分に必要ない相手には、家の外でも傲慢かつ横柄な態度になりました。

店員に商品の場所を尋ねるようなとき、店員が答えるや否や、お礼を言うことなく、さっさとその場を立ち去ってしまうのです。

店員さんにも自分と同じような生活があり、日々懸命に生きている同じ立場の人間。
そのような思いが欠けているのだと思います。

反対に、自分が認める人には、とてもへりくだり、ときに崇拝レベルの対象になりました。


自己愛性パーソナリティ障害は見つかりにくい障害

自己愛性パーソナリティ障害に苦しむ男性

自己愛性パーソナリティ障害は、最初から診断されることはほとんどない

母のことで、わたしは5人の精神科医と関わってきました。
けれど、自己愛性パーソナリティ障害だと指摘されたこと1度もありません。

(指摘する必要がないとの医師の判断なのか、単に気づかなかっただけなのか、わかりませんが……)

インターネットでこの障害の存在を初めて知ったとき、母のことを相談していた臨床心理士に確認しました。

臨床心理士は、答えました。
「あなたのお母さんは、自己愛性パーソナリティ障害だと思う」

母のケースのように、自己愛性パーソナリティ障害の人が、自分自身を「自己愛性パーソナリティ障害」ではないかと疑って病院を受診することは、まずないそうです。

人間関係の問題を抱えたり、うつ病やパニックなどの心の病を発症し、初めて病院を受診します。

しかし、せっかく受診しても、うつ病・パニック障害などと診断されるだけで、その根本にあるパーソナリティの問題はに見逃されてしまうことが少なくないようです。

理由は、自己愛性パーソナリティ障害は、行動や認識のパターンの問題であり、特有の症状があるわけではなく、その問題はさまざまな形で現れるから。

とくに、母のように「周囲を過剰に気にするタイプ」の自己愛性パーソナリティ障害は、診断基準に当てはまらないことも多く、診断がむずかしいようです。

参考:狩野力八郎『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社 2007/12/10 P.20-21)

臨床心理士とは

わたしが高校生のとき、母はガンを患ったのを機にうつ病になりました。
今とは違い、うつ病についての情報はあまりない時代。

高校生のわたしには、どのような病気なのか見当もつきませんでした。
突然、別人のようになった母に、ただただ困惑しました。

目を合わせることすらできず、話しかけてもまともな返事はない。
でも、聞き取れないほどの小さな声でブツブツとなにかをつぶやいています。

1日中寝たきりで、トイレに行くときだけは起きてきました。
食事を拒否するようになり、水分さえじゅうぶんにとれなくなる母に、絶望的な気持ちになりました。

病院に連れて行こうにも、その時ばかりは激しく抵抗します。

入院させた方がいいのでは……親戚と家族で相談していると、隣の部屋からフラッと母が出てきました。
おぼつかない足取りでマンションのベランダへ出ていきます。

父・わたし・叔父・叔母の誰もが、その意味を理解できず、座ったまま、母の動向を見ていました。

“ うつ病になると自殺願望が出てくることがある ”
今では常識となっていますが、当時はそうではなかった。

ベランダに出た母は、植木鉢を置いていた籐の棚によじ登りはじめました。
わたしたちは、そこで初めて事の重大さに気づきました。
母はマンションのベランダから飛び降りようとしていたのです。

「娘の目の前でなんてことするの……」
叔母が母を抱きしめるその横で、わたしは泣き崩れることしかできなかった。

このできごとをきっかけに、母は精神科に通院。
この後、わたしが第一志望の大学に合格したのを機に、母は回復の兆しを見せはじめ、3、4か月かけて、日常生活を取り戻しました。

うつ病から20数年後、母はふたたび精神のバランスを崩しました。
統合失調症と診断され、2か月ちかく入院しました。

きっかけは、父が別居を申し出たことでした。
3年もの長きにわたり精神的虐待を受けていた父は、肉体的にも精神的にも限界でした。

母の症状は、うつ病のときとよく似ていましたが、このときは妄想がありました。
そのために、統合失調症と診断されたのだと思います。

「マンションの管理組合の人がやってきて、退去命令が出される」
「貯金通帳など大切なものをすべて持っていかれる」
いつもの心配性が激しさを増し、パニックになりました。

最初の数回は、近所の心療内科で診てもらいました。
しかし、処方された薬を拒否するため、入院することに。
2か月間の入院後、なんとか日常生活を取りもどすことができました。

そして、その2年後。
父が急逝したのを機に、ふたたび統合失調症になりました。

現在(2020年)、母は有料老人ホームに入居し、抗不安薬(精神安定剤)を飲みつづけています。

理想どおりの生活であれば、パーソナリティの問題は見えにくい

自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』を読んでわかったのは、
「理想どおりの生活であれば、パーソナリティの問題は見えにくい」ということ。

この事実に、ずっと抱いていた不安が解消しました。

「母は、 かつては『いいお母さん』だったのに……。母をあんなふうにしてしまったのは、わたしたち家族の責任ではないか?

ときおり、そんな不安にかられることがありました。

幼いころから母には行き過ぎたところがありましたが、小学校中学年くらいまでは、家は安心できる場所だと思っていたのです。

つまり、「いいお母さん」だと感じていた時期は、「すべてが母の理想どおりになっており、パーソナリティの問題は見えにくかった」ということです。

ところが、母の支配に家族が耐えきれなくなり、母の理想像が崩れてしまった。
その結果、奥に潜んでいたパーソナリティーの偏りが顕著に現れるようになった。

本質は、昔からずっと同じだったということです。

『毒になる親』の著者で有名なスーザン・フォワードも、自己愛性パーソナリティ障害について、つぎのように言及しています。

重度のナルシストの母親が不安定であればあるほど、その芝居がかった態度、怒り、優位に立とうという試みは激しくなりがちだ。しかし、望みのものを手に入れていたり、自信にあふれていたり、あなたからさしせまった脅威を感じないときには、母親の行動は落ち着いている。

出典:スーザン・フォワード『毒親の棄て方〈娘のための自信回復マニュアル〉』(新潮社 2015/10/30 : P.47 )

母に限らず、人は家族をもつことで、理想と現実のギャップに苦しむことが増えるものです

また、中年期に入ると、肉体的に衰えたり、仕事の面において責任が重くなるなど、理想のイメージを保つことがむずかしい場面も多くなります。

この時期は、子どもが思春期を迎えるころと重なります。

結果、なんとかバランスを保っていた家族は、我が家のように、急にうまくいかなくなったように見えるのでしょう。

そして、理想通どおりの生活ができなくなり、うつ病などという形で、パーソナリティの問題が顕著に現れるようになるのでしょう。

参考:狩野力八郎『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社 2007/12/10 P.20-21 P.46-47)


自己愛性パーソナリティ障害の治療 | 家族はどう対処すべきか

自己愛性パーソナリティ障害者を支える家族

母は、重度の自己愛性パーソナリティ障害だったと思います。

もし、わたしがもっと早く母の障害に気づいていたらという視点で、重度の場合、家族はどう対処したらよいか提案します。

深刻な事態になる前に、心の専門家の力を借りる

できれば早い段階で、専門家の力を借りることをおすすめします。

悩みが長期にわたるほど、回復がむずかしくなるからです。

回復がむずかしくなる理由:

  1. 環境が複雑になっていく
    歳を重ねるほど、学校・職場・新しくつくった家族といった具合に、関わる人が増えていきます。
    健康な人間関係が困難という障害のため、関わる集団が増えるほど、問題も広がり、複雑・深刻化していきます。
  2. 家族の協力がむずかしくなる
    家族は治療を効果的に進めるうえで、重要な役割を担います。
    問題が長期化すると、家族との亀裂が深まり、協力できなくなります。

    また、家族が高齢になったり、結婚して自分の家庭をもつようになると、協力したくても現実的には厳しくなります。
kaho

「相手の気持ちを思いやれない・わからない」のが自己愛性パーソナリティ障害の特徴である以上、家族だけで対処するのはむずかしいと感じます

本人が受診したがらない場合、家族だけでも相談する

「深刻な事態になる前に心の専門家の力を借りる」とおすすめしましたが、大きな問題が1つあります。

自己愛性パーソナリティ障害は、「周りがわるいのであって、自分は正しい」という気持ちが強いため、受診をすすめてもまず同意しないでしょう。

もちろん、「あなたは自己愛性パーソナリティ障害かも」などという直接的な表現は避けた方が賢明です。

ですから、本人が受診したがらない場合、家族だけでも相談することをおすすめします。

家族が対応の仕方を学び、関係性がかわれば、本人にも変化が生じる可能性はあります。
また、やりきれない気持ちを共感してもらうだけでも救いになります。

kaho

自分の限界を知ることは、とても大切。
アダルトチルドレンの自覚がある方は、とくにご注意ください。

自己愛性パーソナリティ障害はどこに相談したらよいのか

治療の主体となるのは「精神療法」です。
不安や不眠などのつらい精神状態を緩和するために、薬物療法を併用することもあります。

精神療法とは、聞きなれない言葉かもしれませんね。

  • 行動療法
  • 認知療法
  • 認知行動療法
  • 森田療法
  • 家族療法など

大きな書店の専門書のコーナーでは、これら精神療法に関する本を目にすることも増えてきました。

精神療法については、『MSDマニュアル』のホームページが参考になります。

次に、主な相談先です。

医療機関・私設のカウンセリングルーム(心理相談室)で治療する

保険診療で精神療法を受診できるのがベスト。
ただし、精神療法に熱心に取り組むと、時間的にも経済的にも病院の経営が成り立たないのが実態のようです。

実際、母が通院した2件の精神科では、薬で症状を緩和するだけでした。

友人からも同様の話を聞きました。
夫がうつ病で、心療内科に長らく通院していますが、「薬をもらうだけだから、問題の解決にはならないんだよね」とぼやいていました。

精神科・心療内科といった医療機関のなかには、サイコセラピスト(精神科医や臨床心理士)に精神療法を分担してもらうケースがあるようです。

その場合、精神療法の部分は保険診療ではなく自由診療となり、費用はすべて患者負担(10割負担)となることもあります。

短時間での劇的な変化は期待しにくい障害なので、高額の出費になる可能性は高いです。

ちなみに、わたしは臨床心理士私設のカウンセリングルーム(心理相談室に通っていたことがあります。

母が父に虐待するのを止めるためです。
アドバイスを受けながら、母との話し合いを進め、父の救出を図りました。

激怒する母と目に見えて弱っていく父。
仕事と子育ての合間に実家に通う忙しさも重なり、わたしもメンタルも次第に落ち込んでいきました。

ですから、カウンセリングの終盤は、母の相談というより、わたしのメンタルをどのように回復させるかに変化していきました。

料金は50分8,000円。4か月で12回通い、合計96,000円とかなり高額になりました。

しかし、それだけの価値はあると思います。
臨床心理士のアドバイスがなければ、どのように父を救ったらよいの検討がつきませんでした。
また、わたしのメンタルの落ち込みも、あの程度ではすまなかったと思います。

カウンセラーの資格・得意分野・経験は、人それぞれ。
どのように選んだらよいのか迷うことでしょう。

わたしは、臨床心理士を条件に探しました。
保育士として臨床心理士と関わり、その仕事ぶりを尊敬していたからです。

ただし、わたしの友人は、臨床心理士に「自分の子育てを非難された気がする」と落ち込んでいました。
当然、当たり外れはあります。

ちなみに、わたしが通ったカウンセリングルームは、ホームページは作っておらず、インターネット上のタウンページなどに業者登録しています。

スクールカウンセラーを兼任しており、多忙であることから、敢えて口コミで顧客を確保する程度にしているのかもしれません。

○○カウンセリングという名称で、分野は「児童相談サービス」「心理カウンセリング」「心理療法」「悩み事相談サービス」などにチェックが入っていました。

精神保健福祉センター・保健所・保健センターなどの公的機関で治療する

精神療法に積極的に取り組むという点では医療機関がよいと思います。

しかし、いきなり医療機関はちょっと……という場合は、まずは都道府県や市区町村で設置している公的な機関を利用するとよいでしょう。

精神保健福祉センター・保健所・保健センターが心の健康相談も行っています。
本人だけではなく家族が相談することもできます。

その他の相談先で治療する

本人が小・中・高等学校、大学、(福利厚生が行き届いた)会社に所属している場合、学校や会社専属のカウンセラーに相談することができます。

スクールカウンセラーのなかには、臨床心理士や精神科医などの資格をもっている人も多いようです。
公立の小・中・高等学校でのスクールカウンセラーへの相談は、わたしの住む地域では無料です。

また、心理系の学科がある大学のなかには、相談室を設けており、地域住民も利用できる場合があります。

ただし、臨床心理士や大学教員の指導のもと、大学院生が行うようです。
そのかわり、料金設定は、一般のカウンセリングルームより低い場合が多いです。

参考:狩野力八郎『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』(講談社 2007/12/10 P.59-98)


さいごに|「人は弱くもあり、強くもある」という前提に立つ

自己愛性パーソナリティ障害と向き合う

自己愛性パーソナリティ障害は、「かわろう」という覚悟をもてば、治る障害だと思います。

実は、わたし自身、自己愛性パーソナリティ障害の特徴がありました。
自己愛性パーソナリティ障害の母に育てられたので、当然の結果かもしれません。

けれど、アダルトチルドレンから回復する過程で、パーソナリティの問題は少しずつ解決していきました。

緩やかな回復に、いら立つこともあるでしょう。
自分を信じ続けるのはむずかしいかもしれません。

でも、「焦らず、ゆっくり、一歩ずつ」。
それがもっとも確実な方法だと思います。

残念ながら、母は「かわろう」という覚悟をもてませんでした。

現在、母は介護付き老人ホームで暮らしています。
統合失調症を発症し、1人暮らしは不可能という診断で要介護となり、入居が可能となりました。

うつ病と統合失調症を繰りかえしたダメージに加え、高齢であることから、完全な回復はむずかしく、今も、抗不安薬(精神安定剤)は手放せません。

けれど、これが母の選んだ人生です。
自分の人生は、自分で背負うしかないのです。

今、思うのは……。

もっと早くに専門的な知識を知っていたら、たとえ、母が変わらなかったとしても、父や姉とわたしの関係まで、壊れずにすんだかもしれない、協力し合えたかもしれないということ。

「人は弱くもあり、強くもある」という前提に立ち、義務教育の時期に、心のことをしっかり学べるシステムが必要です。

そして、心の専門家がもっと身近な存在になり、問題が深刻になる前に相談できるといいなぁと思います。

kaho

つまづいても、何度でもやり直せるような社会になるといいですね