このようなことに、私の実体験にもとづきお答えします。
(あくまでもご参考までにご覧ください)
もくじ

この記事を書いている私
40代の元アダルトチルドレンです。
(母は自己愛性パーソナリティ障害の末、うつ病・統合失調症に)
22歳、「アダルトチルドレン(AC)」と気づき、生きづらさの正体を知る。
30歳、 ACからの回復に自信をもつ。
35歳、「私は親のようにならない」という誓いから解放される。
現在は、夫・2人の子どもと田舎暮らし。
職業は保育士(AC概念と出会いを機に、事務職から転職)。
くわしいプロフィールはこちら。
「アダルトチルドレンってなに?」という方は、つぎの記事をご覧ください。
はじめに|アダルトチルドレンの「役割」と「特徴」を理解する意義

アダルトチルドレンの「役割」と「特徴」を理解する意義:
生きづらさ・人間関係の悩みを解決するヒントにするため
争いの絶えない家庭で育ち、大人になった私。
アダルトチルドレン・共依存に関する本と出会いをきっかけに、自分の置かれた立場を理解できるようになりました。
わかったことは、つぎのとおり。
- 生まれ育った家庭において、家族や自分を守るため、ある「役割」を引きうけてきたこと(代表的な役割は4つ)
- 次第に、「役割」に必要な「特徴」を持つようになったこと
- 求められる「役割」と「特徴」は、過剰なレベルだったこと
- 大人になっても、子どものころの過剰なレベルの「役割」と「特徴」を引きずり、社会のなかで生きづらさを抱えるようになったこと
それまで、自分の生きづらさは「生まれつきの性格」だと思っていました。
しかし、生まれつきではなく、過酷な子ども時代を生き抜くために必死に身につけてきたものでした。
「生まれつきではない」ということは、修正できるということ。
まずは、アダルトチルドレンの役割と特徴について理解を深めましょう。
理解を深めたら、あとはゆっくりと時間をかけて、「過剰」なレベルの特徴を「ふつう」のレベルに修正しましょう。
そうすれば、生きづらさ・人間関係の悩みを解決できます。

kahoの弱みだった「共感的・過剰な責任感・完璧主義など」。
長い時間をかけて修正し、今では私の強い味方。
私たちは、自分を0から作りかえる必要などない。
過去と今を、上手につなげてあげればいいのです。
参考:
クラウディア・ブラック 『子どもを生きればおとなになれる〈『インナーアダルト』の育て方〉 』(アスク・ヒューマン・ケア 2003/7/30)
毒親育ちのAC|機能不全家族における役割と特徴とは

健全に機能しない家庭(「機能不全家族」)における、一般的なアダルトチルドレンの役割は4つです。
(役割は同じでも、専門家によって、呼び名がちがうことがあります)
- なだめ役(調整役)
- 責任を負う子ども
- 順応者
- 行動化する子ども
私の主な役割は「なだめ役(調整役)」。
そして、必要に応じてちがう役割(「責任を負う子ども」「行動化する子ども」)に切りかえていました。
もちろん、当時の私は役割についての自覚ありません。
目の前で起きることに、ただ必死に対処した結果です。
私のように、機能不全家族で育つ子どもたちの大部分は、4つの役割のいずれか、あるいは、いくつかを組みあわせたものを担う傾向があるようです。
そして、重要なのは、つぎのこと。
アダルトチルドレンは、それぞれの役割に応じた特徴をもち、その特徴には、それぞれの「強みと弱み」がある。
自分の「強みと弱み」をしっかり理解し、バランスよく修正すれば、あなたの強い味方になってくれます。
「強みと弱み」のくわしい解説は、クラウディア・ブラック著『私は親のようにはならない』がおすすめです。
ここからは、私の過去の役割(「順応者」以外)について、実体験にもとづいた具体的な話をします。
なだめ役(調整役)(私の主な役割)

なだめ役(調整役)の役割
家族の感情を敏感に察知し、緊張をやわらげたり、対立を仲裁するなどして、家族のなだめ役(調整役)となります。
「なだめ役(調整役)」の役割において、私は「ケアテーカー(世話役)」として調整することがほとんどでした。
母は、家族を強く支配(コントロール)する人でした。
父と姉は、母の支配に反発するようになり、怒鳴り声が飛び交うような激しいケンカは、日常的になりました。
その度に、激しく泣いたり、落ち込んだり、怒ったりする母。
「だれに食べさせてもらっているんだ!」
ふだんはおとなしい父が、鬼のような形相で母を力任せに足蹴りにしたことが何回かありました。
父に足蹴りされながら、うずくまった母は、私に向かって震える声で泣き叫びました。
「kaho。見ておきなさい。お父さんのしていることを。よく見ておきなさい」
母を父から守れない自分が情けなかった。
「お父さん、やめてよぉ……」
少し離れた場所で泣きながら、そう訴えることしかできなかった。
「強い母」と「ものすごくかわいそうな母」。
私は、その2つの顔に翻弄され、心を完全に支配されてしまいました。
父と姉は絶対的な「悪」で、母は「善」と思い違いをしてしまった。
こうして、私は母の絶対的な味方、つまり、「ケアテーカー(世話役)」になりました。
母の気持ちに寄り添い、母の喜ぶことだけを考えました。
自分自身を大切にする余裕はありませんでした。
母と私の人生の「境界線」は、いつのまにか、あいまいになりました。
中学生のとき、成績優秀だった姉が第一志望の大学に落ちました。
夕方、うす暗い部屋で、膝を抱えて座り込んでいた母。
「大丈夫だよ。私がお姉ちゃんの代わりに、いい大学に入るから」と励ましました。
大学生のとき、姉とケンカして泣く母。
「お母さんの面倒は私が見るから大丈夫。将来は、お母さんと同居してあげるから」と元気づけました。
機能不全家族では、親にはっきりと大人のような役割を要求される場合と、私のように自分の役割を敏感に察知し、自ら役割を背負う場合の2通りがあります。
前者の場合、親に反発し、親との関係は悪くなるでしょう。
けれど、私のような後者の場合、問題はより深刻です。
なぜなら、親の支配、つまりは親子の「共依存」にまったく気づかないから。
私自身、母との関係は良好だと思い込んでいました。
ですから、運よく共依存に気づけても、親子の関係を捉え直すことに、大きな葛藤が生まれました。
なだめ役(調整役)の特徴
「いい子」「やさしい子」「感受性が強い子」
母は、私の性格をこう表現しました。
今から思えば、母にとって「都合のよい子」を演じていたのですね。
父や姉から見れば、私は決して「いい子」でも「やさしい子」でもなく、「攻撃的な子」だったにちがいありません。
父や姉をひどく憎み、冷たくあたりました。
彼らへの自分の言動を思い出すと、今でも胸が痛みます。
憎しみという感情は、人を傷つけます。
憎まれた人はもちろんですが、本人も著しく傷つきます。
憎む相手が、本来なら愛情を育むはずの家族であれば、その傷はいっそう深くなります。
そして、憎むという行為は、大きな「負」のエネルギーを必要とします。
その結果、本当に必要なことに向けるべきエネルギーを使い果たしてしまうのです。
「なだめ役(調整役)」の特徴のなかでも、とくに私を苦しめたのはつぎの3つです。
自分では気づいていませんでした。
自分の気持ちを犠牲にして母に尽くしていたことに。
自分が母を支えなければと必死でした。
自分の気持ちを考える余裕などなかった。
長い間、自分の気持ちを置き去りにするうち、わからなくなってしまった。
「本当は自分がどんな気持ちでいて何をしたいのか」
それどころか、自分の気持ちを大切にするという感覚自体、忘れ去ってしまったのです。
いつのまにか、私は「母の人生」を生きていました。
それは、自分の感情を抑圧し、自己を破壊することです。
健全な家庭の子どもは、親孝行すると、本人も幸せな気持ちになります。
自分の意志で、親と自分自身のためにしているから。
機能不全家族の子どもであった私は、親孝行しても、幸せな気持ちにはなれません。
よろこぶ親の姿に、親孝行している自分に、安堵するだけです。
なぜなら、自分自身の欲求を抑えつけているから。
期待される要求を敏感に感じとり、親が喜ぶような言動をさせられているから。
そして、自分では気づいていないストレスは、どんどんふくらみ、あるとき限界に達するのです。
長い間、罪悪感に苦しんでいました。
自分自身のことで楽しい気持ちになるとき、心のどこかで「申し訳ない感じ(=罪悪感)」がするのです。
今から思えば、いつも不幸そうな母に、後ろめたさがあったのでしょう。
高校3年生のとき、母の不倫を知ったときでさえ、母に幸せな時間があったことに、心のどこかでほっとしました。
また、大学生のとき、2カ月ほど、1人で海外旅行に行きました。
自分がアダルトチルドレンと気づいたばかりの時期で、環境を大きく変えてみるためでした。
(この旅は、アダルトチルドレンを克服する、大きなきっかけになりました)
旅行中の日記には、とびきりの解放感に対する幸せな気持ちがつづられています。
けれど、楽しい気持ちに対する罪悪感も書かれています。
「のんびり歩きながら、なんて幸せなのだろうと思っています。でも、同時に、私の幸せは両親の犠牲のうえに成り立っています。自分だけ幸せでいいのだろうか……と自己嫌悪」(一部抜粋)
実際、4回目の1人旅を計画中、虫の居所が悪かった母に怒鳴られました。
「自分ばかり遊ぶことを考えて!」
私のような思考回路になるのも、無理はないのです。
本来、子どもとは「自分のことを最優先に考える」もの。
自分の幸せに後ろめたさを感じるほど、親を気にかける。
それは異常です。
「母親思いの優しい子」ではないのです。
「優しさ」を強要されているだけなのです。
過剰な優しさの影で、心はボロボロに傷ついています。
私との関係を「一卵性双生児」だと自慢していた母。
私が母の支配に気づいてから、その関係はあっけなく壊れました。
誰かの犠牲に成り立つ関係など、永遠には続かないのです。
まだ9か月だった長女が原因不明の病気にかかり、3週間ほど入院したときの話です。
夫は仕事が忙しく、病院に顔を出す時間さえじゅうぶんにはとれない状態。
40℃代の高熱がつづき、ぐったりする長女。
不安だけが募るなか、「しっかりしなきゃ!」と自分自身を奮い立たせました。
このときの私の様子を、今でも夫に言及されることがあります。
「kahoは小さなストレスには弱いのに、大きなストレスには強いよね。落ち着いていて、頼もしかった」
夫の指摘に、なるほど……と妙に納得しました。
昔から、状況がより困難を極めたとき、私はとても冷静で、頼もしくなる傾向がありました。
自分の存在がすぅーと奥の方に遠のいて、少し遠くから第三者の立場で自分を見ているような不思議な感覚になるのです。
たとえば、母がうつ病や統合失調症になったとき、母の不倫相手の奥さんに電話で対応したときなどがそうでした。
そんなとき、私は実力以上の力を出すことができました。
きっと、無理をすることが、やりがいや生きがいに感じる傾向があるのです。
もちろん、娘の病気はとてもつらいことでした。
「やりがいや生きがいを感じる」という言い方には、かなり語弊があります。
この場合は、病気の娘のために奮闘するなかで、「自分の存在価値を実感できる」と言いかえる方が適切かもしれません。
今でも、必要以上に努力することに、やりがいや生きがいを感じてしまう傾向は残っています。けれど、自覚があるので、上手にバランスをとり、自分の強みとして活用しています。
今の私にとって、大きな強みになった「なだめ役(調整役)」の特徴
つぎの強みを、「過剰」なレベルから「ふつう」のレベルに修正できました。
思いやりがある、共感的、暖かい
私の仕事は、保育士です。
子どもたちと接するとき、「なだめ役(調整役)」の特徴はとても大切。
「その傾向がある」くらいのレベルに修正するには、長い時間が必要です。
今までがんばってきた分、ゆっくり少しずつ。
責任を負う子ども(私の2番目の役割)

責任を負う子どもの役割
過剰に責任をとるタイプの子ども。
子どものころ、周囲の大人から、まじめで頼りになる優等生と褒められるタイプです。
アメリカの第42代大統領ビル・クリントン氏は、このタイプの子どもであり、「なだめ役(調整役)」も担っていたそうです。
「家族の崩壊を止めるのは自分しかいない」
いつも神経を張りつめていました。
たとえば、母の不倫相手の奥さんから電話がかかってきたことがありました。
高校3年生の冬の夜のことです。
当時、母はがんの告知がきっかけでうつ病になり、寝たきりでした。
台所の電話が鳴ったのは、父と私が夕飯の後片付けをしていたとき。
互いの家で、不倫は明るみになったばかりの時期。
電話に出た私は、知らない女性の声に、瞬時に事態を把握しました。
父に気づかれてはいけない、私が事態を収拾しなければ!
父に怪しまれぬよう、素知らぬふりで自分の部屋へ行きました。
「落ち着いて。冷静に」
自分にそう言い聞かせながら、つぎのことをしっかり伝えました。
「母が申し訳ないことをし、すみませんでした」
「今後このようなことがないよう、しっかりと言い聞かせます」
いまから思えば、18歳の子どもが責任を負うような話ではありません。
でも、当時の私にとって、目の前の緊急事態に最善を尽くすのは日常であり、特別なことではありませんでした。
「責任を負う子ども」とは、これ以上ないほど悲しい呼び名だと思います。
周囲の大人から、しっかり者と評価される「いい子」の私たち。
年齢に似つかわしくない大人びた行動の影で、いつも神経を張りつめているのです。

「あなたも受験間近なのに……。負けないでがんばってね」
最後にかけてもらった思いがけない優しい言葉。切なくなりました。
本来、子どもとは「自分のことを最優先に考える」もの。
「自己中心的な子どもらしい感情」を大切にしてもらって初めて、他人のことを思いやれるようになります。
(保育士として参加した、児童精神科医の佐々木正美先生の研修で教わりました)
責任を負う子どもの特徴
「責任を負う子ども」の役割を担っていたと感じるのは、その特徴の多くが私に当てはまるからです。
該当した特徴はつぎのとおり。
- 具体的に目標を設定し、計画的に物事を実行する力がある
- 人を心から信じることができず、最終的に頼りになるのは自分だけだと感じている
- 背負わなくていいことまで背負ってしまうので、ものすごい重圧を感じ、とても疲れやすい
- よく言えば責任感が強いが、自分が仕切る癖が強いため、他人と対等な関係を築くことが難しく、チームプレイは苦手。
- 物事を、黒か白かではっきりと判断したがり、中間やグレーという判断基準がない。
100か0の精神で、いつも完璧を目指す。 - 責任を負うのに忙しく、子どもとして過ごす時間のゆとりがなかったため、大人になってもリラックスできない。
楽しいことをするのは気が引けて、怠けていると感じる。
「リラックスできない」エピソード
家庭環境が悪化しはじめたのは、小学5年生のころ。
それ以来、争いの絶えない家庭で、なんとかしようと必死に努力してきました。
いつのまにか、母の助けになること・喜んでもらうことを最優先するようになりました。
ケンカの仲裁、家の手伝い、自分の実力に合わない進学校での勉強。
やるべきことは、後から後から湧いてきて、いつもなにかに追われている気がしました。
切迫感で息が詰まりそうでした。
ですから、たまに平穏なときがあってもリラックスできないのです。
怠けている気がして罪悪感を感じるのです。
リラックスする状態がどんな心もちなのか、その感覚すらも忘れてしまっている。
大学1年生のころ、こんなことがありました。
大学生活にも慣れてきて、ふと気がつくと時間にゆとりができていました。
受験期にうつ病になった母も回復しはじめていました。
治療中の母への配慮か、家族の争いも一時的に治まっていました。
「こんなに楽でいいのだろうか。なにかやるべきことに気づいていないのではないか」
せっかく訪れた静かな時間なのに、そんなふうに思ってしまうのです。
私にとっては、平穏の方が、非日常であり、異様なことだったのです。
今の私にとって、大きな強みになった「責任を負う子ども」の特徴
つぎの2つの強みを、「過剰」なレベルから「ふつう」のレベルに修正できました。
- 具体的に目標を設定し、計画的に物事を実行する力がある
- 物事を、黒か白かではっきりと判断したがり、中間やグレーという判断基準がない。
100か0の精神で、いつも完璧を目指す。
過剰なレベルでなければ、この2つはとても大きな強みになります。
とくに、なにかを成し遂げるうえでは、心づよい味方です。
機械音痴の私がこのサイトを運営できるのは、まさにこの特徴のおかげ。
「その傾向がある」くらいのレベルに修正するには、時間が必要です。
今までがんばってきた分、ゆっくり、少しずつ。
行動化する子ども(私の思春期、学校限定の役割?)

行動化する子どもの役割
いつもトラブルのなかに身を置き、問題を引き起こすような子どもです。
万引き・未成年での妊娠や飲酒・薬物の乱用など、社会的に受け入れがたい行動をとることもあります。
多くの場合、そうすることで、自分も家族も本当の問題から目をそらし、その苦しみから一時的に逃れられるようです。
家では「いい子」を演じていた私ですが、学校では少し悪ぶっていた時期がありました。
「行動化する子ども」の役割を、特定の場所で、一時的にしていたのかは、よくわかりません。けれど、家でのストレスを自分なりに発散し、ギリギリのところで精神のバランスを保っていたような気はします。
行動化する子どもの特徴
他のタイプの子どもたちのように、自分の家族の問題をないものとせず、正直に反応します。
ただし、自分の感情を健康的な方法で大人に伝えることをあきらめており、周囲が困るようなやり方で助けを求めることになってしまいます。
その結果、反社会的な行動をとることが多いため、周囲から受け入れられず、自己肯定感は著しく低くなっていきます。
小学校高学年から3年間ほど、学校で悪目立ちする子たちと一緒に過ごす時間が増えました。
授業をさぼろうと、体調が悪いふりをして友だちと保健室に行ったり。
社会見学のグループ行動の途中で、「ふけよう(抜け出そう)」と誘われたり。
中学に入ると、生意気だと先輩から呼び出されることも度々ありました。
私の言動に、あからさまに顔をしかる先生もいました。
「ほんとにおまえは……。はぁー(ため息)」
(顔をしかめて)「おまえ、お姉ちゃんとぜんぜん違うな」
けれど、小学校6年のときの隣のクラスの先生は、積極的に私に関わってくれました。
50代くらいの家庭科の先生でした。
「ほんとうはいい子なのに悪ぶっちゃて。ほら、ランドセルは両方の手を入れなさい」
「あら、明るい色の服は珍しいね。似合うわよ」
ちょっとうるさいなぁと思う反面、気にかけてくれる先生の存在をうれしく思っていたのだと思います。
担任の名前を忘れても、彼女のフルネームはしっかりと覚えているのですから。
卒業式の日、先生は、担任ではないのに、わざわざ母を探しだして声をかけました。
160人ほどの卒業生の親のなかから、母を見つけるのはたいへんだったと思います。
「ほんとうは素直ないい子なのに、悪ぶっちゃうところがあるんですよ」
私の苦しみを、少しでも母に気づいてもらおうとしたのでしょう。
もっとも、家ではいい子だったので、母には伝わらなかったと思いますが……。
行動化する子どもと関わる大人(主に学校の先生)に伝えたいこと
受け入れがたい子どもの言動の裏に、なにが隠れているのか。
周囲の大人たちは、気づいてあげてほしいのです。
「行動化する子ども」たちは、他のタイプの子どもたちと違い、苦しみをわかりやすく外に吐きだします。
ですから、周囲の大人が彼らを救うチャンスはあるのです。
しかし、問題行動だけに注目し、言動の裏になにを抱えているのかまで目を向けられない大人が多いのです。
人に疎まれるような言動をする子どもは、家庭内で大きな問題を抱えていることが少なくありません。
そうせざるを得ないほどの苦しみを抱えているのだと思います。
学校で一番悪目立ちしていた同級生たちは、ゲームのような感覚でターゲットを決めて、順番に仲間を無視することを繰りかえしていました。
きっと、自分たちの苦しみを紛らわす方法を他に知らなかったのです。
(もちろん、誰かを傷つけてもいいという言い訳にはなりません)
また、「悪いことをしても、親が怒ってもくれない」と悲しそうにつぶやく声を耳にしました。
周囲の大人は、少なくとも仕事で子どもたちと関わる大人は、思いをめぐらせてほしいのです。
どうして、彼らが人に疎まれるような言動をするのか。
そして、教えてあげほしいのです。
自分を傷つけなくても、他人を傷つけなくてもすむような、苦しみを和らげる方法を。
家では神経をはりつめ、学校では先生に疎まれる。
そんな生活では、どこにも救いがありません。
私は、基本的には優等生だったので、大きなトラブルを起こしたことはありません。
そんな私の言動にさえ、心ないことを言う先生たちに、ひどく傷つきました。
1人の力は微力でも、それらが集まれば、彼らが岐路に立たされるとき、なにかが違ってくるのではないかと思います。
参考:
クラウディア・ブラック『〈嗜癖問題とその子どもたちへの影響〉私は親のようにはならない』(誠信書房 2004/7/10 : P.12-98)
クラウディア・ブラック『 子どもを生きればおとなになれる〈『インナーアダルト』の育て方〉 』(アスク・ヒューマン・ケア 2003/7/30: P.182-192)
「手のかからないいい子」として、問題に気づいてもらえない子どもたち

「責任を負う子ども」「順応者」「なだめ役(調整役)」を担う子どもたちには、ある深刻な問題があります。
一見、「手のかからないいい子」に見えてしまうため、誰も苦しみに気づくことができないのです。
彼らは「行動化する子ども」のように、家庭や学校などで目立つ問題を起こしません。
学校でリーダーシップを発揮したり、成績優秀であることさえ珍しくないのです。
姉は、小学6年生のときに優良児童として県から表彰されました。
私自身、小学校のころからクラス代表をたびたび務め、一時期の反抗期を除けば優等生タイプでした。
1学年200人規模の中学校で、成績はいつもトップクラス。
偏差値の高い進学校・大学へ進み、大手企業に就職しました。
一見、なんの問題もないように見えてしまうのです。
いまでも中学時代の友人に言われることがあります。
「昔から、ほんとうに順風満帆な人生だよね」
友人の感想は、無理もないかもしれません。
家の問題について、絶対にしゃべってはいけないと教え込まれていたのですから。
また、家の内情を知られることに、私自身が「恐怖感」をもっていました。
自分が欠陥品のようにみなされてしまうのではないか……。
「kahoの家、かなりやばいらしいよ。そんな家で育てられたkahoもきっとやばいよね」
そんなふうに周囲に白い目で見られることが怖かったのです。
家族の問題についてくわしく打ちあけたのは、夫が初めてです。
誰にも相談できず「自分でもなんだかわからないが、とにかく生きづらい」という状況のなか、ゴールがわからないまま、ただやみくもに走りつづけるしかない。
だから、自分の抱えている苦しみが、誰からも理解されない。
これが、「手のかからないいい子」として、問題に気づいてもらえない私たちの姿です。
参考:クラウディア・ブラック『〈嗜癖問題とその子どもたちへの影響〉私は親のようにはならない』(誠信書房 2004/7/10 : P.12-69)
「ヤングケアラー」としてのアダルトチルドレン

ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものことです。
具体的には、家事や幼いきょうだいの世話、障害や病人の介護、アルコール・薬物・ギャンブルなどの問題のある家族への対応などです。
ヤングケアラーは、このような苛酷な境遇で、周りに助けを求める権利があることを知らず、知っていても自分からは発信することができず、1人で問題を抱えこんで苦しんでいます。
2020年、全国に先駆けて、埼玉県が「ケアラー支援条例」を施行し、ヤングケアラーを社会全体の問題としてとらえ、支援していく流れが加速しています。
アダルトチルドレンにおいて、ヤングケアラーに該当する子どもたちが存在すると思います。
私自身、母のうつ病の発症がもっと早ければ、ヤングケアラーになっていたかもしれません。
私が18歳の冬、癌を患ったのを機に、母はうつ病になりました。
コミュニケーションがとれなくなり、トイレに行く以外は寝たきりでした。
幸い、半年もかからずに治りましたが、その間の家事は、家族で分担しました。
受験生だった私に配慮し、父と姉が主に家事を引きうけてくれました。
それでも、母に朝食を食べさせるなどの世話で、高校に遅刻することが数回ありました。
担任の先生に廊下に呼び出され、理由を問われました。
「家の問題は、人に話してはいけない」
そう教えこまれていた私は、答えようがなく、精神的にも限界で、担任の前で泣いてしまいました。
人に弱みを見せるのは、初めてだったかもしれません。
家の内情をできるだけ漏らさないよう、細心の注意を払って事情を説明したこと。
つい昨日のことのように、思い出されます。
母のうつ病が、私がもっと幼いときに発症していたら……。
私も姉もヤングケアラーになっていたことでしょう。
子どもとは、自分の存在を認めてもらい、人とのつながりのなかで勉強や運動に励み、そのアイデンティティーを形成していくものです。
厚生労働省のホームページに、ヤングケアラーの相談窓口が載っています。
助けを求めることは勇気がいるかもしれません。
けれど、子どもには、子どもらしく生きる権利・学ぶ権利があるのです。
克服へのアプローチ |「過剰」なレベルの特徴を「ふつう」のレベルに修正する

アダルトチルドレンの役割と特徴、なんとなく理解できましたか?
私たちの役割と特徴は、過酷な子ども時代を生き抜くうえで必要なものでした。
しかし、子どものころの過剰なレベルの「役割」と「特徴」を引きずり、いつまでも社会のなかで生きづらさを抱える必要はありません。
「過剰」なレベルの特徴を「ふつう」のレベルに修正していきましょう。
留意点:
あくまで「傾向がある」という話で、「機能不全家族」で育った人すべてに当てはまるわけではありません。
また、「機能不全家族」で育った人が自分を見つめなおすことには、心に大きな痛みをともないます。
幼い子どもを育てるお母さんのように時間や体力に余裕がない方・多感な時期である少年や青年は、サポート体制を万全にするなどの注意が必要です。
信頼できる相手(臨床心理士などの心の専門家など)に思いを受け止めてもらい、安心感のなかで進めることが大切です。
「過剰」なレベルの特徴を「ふつう」のレベルに修正する方法を、3つ紹介します。
- アダルトチルドレンに関する本を読んで、自分で取りくむ
- 臨床心理士など心の専門家のカウンセリングを受ける
- 自助グループに参加する
ちなみに、私は上記の方法ではなく、自己流で克服しています。
アダルトチルドレン時代、私はこの手の本から完全に遠ざかっていました。
理由は、主に3つあります。
- アダルトチルドレンだと認めることはできたが、母との共依存を認められなかった
- 就職・転職で忙しかった
- 保育士として、子どもの健全な発育について勉強することが克服につながった
くわしくは、『アダルトチルドレン回復(克服)&幸せに生きる方法【実体験あり】』をご覧ください。
アダルトチルドレン・共依存に関する本を読み、自分で取りくむ
最も手軽に取りくめる方法です。
しかし、最も挫折しやすい方法でもあると思います。
自分自身で、継続して取りくみつづける必要があるからです。
自分が認めたくない部分を正面から見つめつづけるのは、相当な覚悟と勇気が必要です。
本を読んで自分で取りくむ方法がうまくいくか否か。
それは、家庭環境の機能不全が、どの程度深刻なのかによるかもしれません。
本で取りくむと決めたら、自分を客観的に観察することを心がけるといいでしょう。
また、気持ちに余裕がないときは、一時的に中断することも大切です。
自分と向きあう過程で不安を感じたら、迷わずに精神科医や臨床心理士などの心の専門家を頼ることをすすめします。
おすすめの本を、4冊紹介します。
アダルトチルドレンを理解するための、最初の一冊におすすめです。
とてもわかりやすい表現。構成もシンプルで理解しやすい。
「あぁ、そうか。だから、私はあんなに苦しかったんだ」と、“過去から現在”に至る自分の心の動きを理解して納得できます。
本を読みすすめながら自問自答し、自分の感情と向き合えるつくりになっています。
また、適度な文字の大きさ・ページ数・余白のため、心が疲れた状態でも読み終えることができそうです。
(ストレスをためがちなアダルトチルドレンにとって、大切なポイント)
発行元は「アスク・ヒューマン・ケア 」。
日本において、アダルトチルドレンの概念を早くから広めてきた実績があります。
「アダルト・チャイルドが自分と向きあう本」 の続編(回復への取りくみ編)です。
本を読みすすめながら自問自答し、自分の感情と向き合えるつくりになっています。
“現在から未来”への自分に焦点をあてた本です。
アダルトチルドレン時代に出会いたかったNo.1。
「アダルト・チャイルドが自分と向きあう本」 とペアで、なんども読み返したい本です。
クラウディア・ブラック氏が用いる「回復の4つのステップ」の内容をくわしく知ることができます。
ステップ1=過去の喪失を探る
出典:クラウディア・ブラック『子どもを生きればおとなになれる〈『インナーアダルト』の育て方〉 』(アスク・ヒューマン・ケア 2003/7/30:P. 79)
ステップ2=過去と現在をつなげる
ステップ3=取りこんだ信念に挑む
ステップ4=新しいスキルを学ぶ
アダルトチルドレンから回復する方法は、本によって多少のちがいはありますが、共通する部分は多いです。
ですから、まずはこの本でしっかりと学ぶことをおすすめします。
初心者にもわかるよう、やさしく丁寧に解説しています。
また、字が大きめで、行間が適度に空いているのもポイントが高いです。
アダルトチルドレンの役割と特徴、それぞれの役割の「強みと弱み」、機能不全家族のルールなどを、くわしく知ることができます。
私が長い間しばられていた「しゃべるな」も、機能不全家族のルールの1つ。
他にもおすすめの本を知りたい方は『おすすめ本』をご覧ください。
臨床心理士など心の専門家のカウンセリングを受ける
精神科医や臨床心理士などの心の専門家のカウンセリングに通う方法です。
信頼できる専門家にさえ見つかれば、最もおすすめしたい方法です。
自己流でアダルトチルドレンを克服した私ですが、最初から臨床心理士のような心の専門家に頼っていれば、もっと早く克服できたのかもしれません。
(当時は、臨床心理士の存在を知らなかった)
私は、仕事とプライベートの両方で、4人の臨床心理士と関わる機会をもちました。
4人とも、「聡明」という言葉がぴったりの人柄でした。
ただし、保育士の友人は、相談した臨床心理士に、子育てを非難された気がして居心地が悪かったとの感想でした。
自分の子どもが発達障害ではないかと心配しての相談でした。
心の専門家といえども、共感性がなく、上から目線な人もいるようです。
カウンセリングのデメリットは、相談料が高額になる可能性です。
臨床心理士のカウンセリングは、個人経営の場合、保険適用外になるからです。
心療内科や精神科は、病院なので保険が適用されますが、カウンセリングに時間を割きすぎると経営が苦しくなるのが実情のようです。
40代になってから、プライベートで、臨床心理士のカウンセリングを受けたことがあります。
母が父に対して精神的な虐待を3年間もしており、その相談をしました。
カウンセリングは50分で8,000円、12回通ったので、計10万円ほど支払いました。
アダルトチルドレンを克服する場合、通う期間はもっと長くなることが予想されます。
臨床心理士について、くわしくは『臨床心理士とは | 実際に関わった感想【無料相談する方法あり】』をご覧ください。
自助グループに参加する
私は自助グループに参加したことはありませんが、アダルトチルドレンに関する本を読むかぎり、克服には有効な方法だと感じました。
厚生労働省が定める自助グループの定義は、つぎのとおりです。
同じ問題をかかえる人たちが集まり、相互理解や支援をし合うグループのことです。
交通被害者やアルコールや薬物などの依存症のひとたち、犯罪被害者など同じ問題をかかえる人たちが自発的に集まり、問題を分かち合い理解し、問題を乗り越えるために支えあうのが目的のグループです。
同じ問題をかかえているひたたちが対等な立場で話ができるため、参加者は孤立感を軽減されたり、安心して感情を吐露して気持ちを整理したり、グループの人が回復していくのをみて希望を持つことができたりと様々な効果が期待できます。
(厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイトWebページより抜粋 2021年4月12日閲覧)
自助グループを探すには、特定非営利活動法人ASKさんのホームページが参考になります。
アダルトチルドレンは、自分の家族について、他人に話すことに強い抵抗を感じます。
誰にも打ちあけることができず、秘密を抱えつづける。
それは、自覚以上の苦しみです。
やるせない気持ちはどんどん膨らみ、打開策は見つからず、家庭内の問題は深刻化していきます。
自助グループに参加することで、1人で抱えこんでいた思いを、安心して話せる場ができます。
同じような痛みを分かち合い、気持ちを認め合うことで、少しずつですが気持ちが軽くなるかもしれません。
私は、長い時間をかけて、夫にだけは、生い立ちをすべて話しました。
けれど、夫に私の痛みのすべてを理解してもらおうとは思いません。
どれだけ想像力を働かせたとしても、実際に体験した人にしか理解できない部分は必ずあります。
その点、自助グループは、程度の差こそあれ、家族の問題に苦しんできた人たちの集まりです。
家族という闇について、初めて共感し合える仲間が見つかるかもしれません。
ただし、期待しすぎは禁物です。
アダルトチルドレンは、100か0の精神で、常に完璧を目指しがち。
100%の満足を求めないように……。
最後に | 自分について考え、自分について考えすぎない

「自分について考え、自分について考えすぎない」
一見矛盾してるようですが、克服を試みるうえで、とても大切な視点です。
今日まで、「心」についての多くの本を読んできました。
そこには、「自分や心について考えすぎない」という共通の教えがありました。
理由は2つ。
- 「○○であるべき」という“べき思考”で必要以上に自分を縛り、理想と現実のギャップに苦しむ可能性があるから
- 人が成長するには人間関係が必要で、自分の頭のなかだけの世界では、なかなか変化が起こらないから
むずかしく頭で考えすぎるより、現実の社会でいろいろなことに挑戦していくなかで、人と出会う。
人との出会いのなかで、自分だけでは気づけなかった自分の可能性を知る。
そして、失敗をしながらも、少しずつ地道に「達成感」を積み重ねていく。
そんな姿勢が大切なようです。
自己流で克服した私は、このような知識がなかったため、自分について深く洞察しつづけようとしました。
幸い、行動力だけは人一倍あり、具体的に行動しながらの洞察でした。
就職・転職も重なり、忙しくて深く洞察しきれなかったのは、幸運だったかもしれません。
「自分について考え、自分について考えすぎない」
バランスをうまくとるのは、とてもむずかしいですね。
克服した今、私が言えるのは……。
「自分自身について考えるのは、自分を否定するためではなく、いまの苦しい状況を乗りこえるため、前に進むためです」
今のあなたを否定せず、まずは、ありのままのあなたを受け入れること。
それが、克服・成長へのスタートラインだと思います。
精神療法の1つであるは、「あるがままに生きる」を原理としています。
近い将来、森田療法について学んでみたいと思います。

アダルトチルドレンとしての役割と特徴。
それは、厳しい人生をあなたが必死に生き抜いてきた証明でもあります。
ぜひ、自分をねぎらい、誇ってあげてください。
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アダルトチルドレンには、家庭で求められる「役割」があり、役割に応じた「特徴」をもつようになるって聞いたけど……。
具体的なエピソードがあるとイメージしやすいな。
また、役割や特徴を、今の自分に生かし、生きづらい人生から解放されるには、どうしたらいい?